シンポジウム及び円卓会議の経緯

1.開港までの状況


開港当時(1978年・昭和53年)
の成田空港

成田空港を成田市三里塚を中心とする地区に建設することが決定されたのは1966年(昭和41年)でした。

当時は、羽田空港が日本の表玄関としての役割を担っていましたが、70年には同空港の処理能力が限界に達すると予測され、首都圏における新空港の建設が検討されました。63年には、航空審議会の答申「新東京国際空港の候補地及びその規模」を受けて、政府は成田に隣接する富里村を建設候補地に内定しました。しかし、地元では反対運動が起こり、日に日に激しさを増したことから、政府は千葉県との協議・検討の結果、成田市三里塚付近への建設案を66年に提示しました。千葉県は政府による住民対策の徹底を条件に三里塚案を了承し、7月の閣議で正式に決定されました。

NAA設立(7月30日)前の7月10日に約3000人を集めた建設反対集会が開催され、新空港の建設地決定の動きと前後して、66年8月には三里塚・芝山連合空港反対同盟が結成されました。また、12月には団結小屋が建設されるなど、国と反対派の接点が見いだされないまま、67年には空港外郭の測量が実施されました。

NAAは、68年4月には条件賛成派4団体との合意により、民有地の89%を取得し、69年9月には新空港の建設に着手する運びとなりました。同年12月には土地収用法に基づく事業認定が告示され、70年から本格的な敷地造成工事を開始しました。

当初の計画では、4000mのA滑走路1本とこれに対応する誘導路、航空保安施設、旅客・貨物ターミナルなどの諸施設を整備する第1期計画を71年4月までに、また平行滑走路2500mと横風用滑走路3200mの2本を整備する第2期計画を74年4月までにそれぞれ完成させる予定となっていました。

しかし、第1期計画の施設は74年4月に完成したものの、ジェット燃料の輸送問題や反対派が建てた2つの鉄塔撤去などにより、開港時期は延期を余儀なくされました。また、住民の反対運動で用地の取得が思うように進まず、結果的にはA滑走路1本で、当初予定の78年3月から2ヵ月遅れの5月に成田空港が開港することになりました。

2.成田空港問題シンポジウムの経緯

1990年(平成2年)1月に行われた江藤運輸大臣(当時)と反対同盟熱田派の農民との対話をきっかけに、成田空港問題を話し合いで解決する機運が高まりました。

その後、公開討論によって成田空港問題解決の糸口を探るため、地域の有志を中心として地域振興連絡協議会が発足し、その呼びかけでシンポジウム開催の動きが始まりました。

反対派は当初、シンポジウム参加の条件として、強制的手段の放棄などを含む5項目を提示したため、国は「2期工事の土地問題を解決するために、いかなる状況のもとにおいても強制的手段をとらない」ことを確約し、これによって成田空港問題シンポジウムが開催される運びとなりました。シンポジウムの開催は、立場の異なる人々が初めて一堂に会した画期的な場として注目を集めました。

シンポジウムは、隅谷三喜男東京大学名誉教授のほか4名の学識経験者(隅谷調査団)主宰のもと、運輸省(現国土交通省)、NAA、千葉県、反対同盟が参加しました。91年11月に第1回目のシンポジウムが開催されてから、93年5月まで15回にわたって成田空港問題の歴史的経緯などについてさまざまな観点から討論が行われました。その結果、隅谷調査団から以下の3項目を骨子とする所見が示されました。

  1. 成田空港問題における長期にわたる力による対決に終止符を打つため、国側は土地収用裁決申請を取り下げることとされたい。
  2. 過去における成田空港建設の経緯の反省の上に立って、国は2期工事B・C滑走路の建設計画について白紙の状態に戻し、地域の人々と話し合いをすることにより解決の道を探ることとされたい。
  3. 上記1.、2.の提案の実現により、広く地域住民が初めて国と対等の立場で、地域における空港の在り方などについて話し合いができることとなる。今後は、国、千葉県、関係自治体および広く住民の参加する「新しい場」が設けられ、話し合いが進められることを期待する。なお、この場には従来シンポジウムに参加していない農民の参加と意見表明がなされるよう期待している。また、調査団もこうした人たちとの話し合いの場を設ける用意がある。

隅谷調査団の所見について、運輸省およびNAAとしては、所見の趣旨が、27年間に及ぶ成田空港問題の根本原因をとらえ、平和的な話し合いにより空港問題を解決するという視点に立ったものであると理解できることから、この所見を受け入れることとしました。

国、NAA、反対同盟の参加者すべてがこの所見を受け入れたことにより、シンポジウムは終結し、成田空港問題は円卓会議に舞台を移すことになりました。

3 .成田空港問題円卓会議の経緯

成田空港問題円卓会議は、隅谷調査団の主宰で1993年(平成5年)9月20日から12回にわたり開催されました。ここでは、成田空港問題シンポジウムでの合意に基づき、国・NAA、千葉県、反対同盟、三郡代表、地元民間代表、住民代表が円卓を囲んで、相互に対等の立場でアイデアを出し、空港と地域との共生の道を探りました。

円卓会議では、まず人口、農業、商工業、自治体財政、航空機騒音による地球環境への影響、土地利用および移転の状況など40項目にわたる統計調査と騒音地区居住者および空港関係移転者に対するアンケート調査が行われました。この調査は、成田空港が地域に与えた影響と現状を把握し、関係者が一定の共通認識を持って議論を進めていくために実施されたもので、千葉県は以下の調査結果をとりまとめました。

  1. 地域全体としては、県平均を上回って社会的、経済的な発展や基盤整備が図られたものの、地域間で格差が見られる。
  2. 騒音地区居住者の8割近くが航空機騒音が気になると回答し、そのうちの6割が騒音が増えていると回答するなど、測定数値と住民の生活実感との間に乖離が見られる。
  3. 民家防音工事など騒音対策の現状には改善すべき点もある。


第1回成田空港シンポジウム

次に、運輸省は大規模空港を建設する場合の空港と地域の共生のあり方について、地域計画、環境問題、農業政策に関する学識経験者の参加を得て、「空港と地域との共生に関する基本的な考え方」をまとめ報告しました。

この考え方では、大規模空港の設置にあたっては、空港設置者が地域社会と地域環境との調和策を進めるべきと指摘。また、事前に十分な時間をかけて幅広く地域の意見を吸収し、それをもとに空港の設置計画だけでなく、地域環境との調和策や地域整備の考え方も含めた計画大綱を作り、地元に提示して民主的な話し合いを通じて計画を進めるべきであるとの見解が盛り込まれました。

この「基本的な考え方」は、今後の空港づくりの基本的な指針となるものであり、また、空港と地域とが共生していくための一般原則を表したものですが、あくまでも「白地」に新たに空港を建設する場合を想定したものであるところから、これをどのように成田空港にあてはめるのかが次の問題でした。

運輸省は、この「基本的な考え方」を踏まえて「共生を目指した今後の成田空港の空港づくりの考え方」として、新たに次のような提案を行いました。

  1. 成田空港の置かれている状況や国際空港の意義、役割などについて改めて検討した結果、成田空港は平行滑走路(2500m)と横風用滑走路(3200m)を整備する必要がある。
  2. 今後の空港整備にあたっては、空港立地に伴う「光と影」を十分認識し、単に騒音などのマイナスの影響を緩和するにとどまらず、空港の持つ活力を積極的に活かして地域と共生できる空港づくりに取り組む。

このため新たな取り組みとして、環境問題についての自己監査の充実、共生懇談会(仮称)の設置、計画的な地域緑化に取り組みます。

運輸省の提案に対して関係自治体や地域住民からは、空港と地域との共生を実現させるため、民家防音工事の再助成制度の確立、深夜便の抑制など騒音対策のより一層の充実や芝山鉄道の延伸などの地域振興が不可欠であるとしたうえで、地域の将来のためには滑走路の建設が必要であるとする意見が出されました。

一方、反対同盟からは、「児孫のために自由を律す」が発表され、対立構造を解消し、地域と空港との共生関係を築くためには、空港側が断念の思想を持って自己抑制すべきであるとし、B・C滑走路計画予定地に「地球的課題の実験村」を建設することが提案されました。


第12回円卓会議の様子
隅谷調査団から所見が示された

この同盟提案について、関係自治体や民間団体は「実験村」構想を高く評価するとともに、滑走路計画と「実験村」構想のいずれか一方を選択するというものではなく、共に実現していくべきとの意見表明があり、特に民間団体からは「平行滑走路については、その建設に伴うデメリットに対する具体的施策を前提に前向きに受け止めるが、横風用滑走路の整備は、現時点においてはメリットよりデメリットが多く、行うべきではない」旨の提案がありました。

このような意見表明を受け、運輸省は「成田空港が地域と共生するために」を発表し、横風用滑走路の整備については平行滑走路の整備と切り離すこと、飛行回数についても20万回程度とし、その後の増加については地元と協議するなど、これまでの議論を踏まえた国側としてぎりぎりの提案を行いました。

こうした議論を経て、94年10月11日の第12回円卓会議で、隅谷調査団から以下の事項が所見として示され、これを関係者全員が受け入れることにより、円卓会議は終了しました。

隅谷調査団所見の概要

  1. 円卓会議で提案のあった「地球的課題の実験村」の構想については、その意義を高く評価する。国は運輸省に検討委員会を設けて、すみやかに具体化のための検討を開始すること。
  2. 空港の建設・運営における公正を担保するための第三者機関として、共生懇談会(仮称)を設置すること。
  3. 平行滑走路の整備は必要であるという運輸省の方針は理解できる。ただし、その用地取得は話し合いにより行うこと。
    横風用滑走路の整備については、平行滑走路が完成する時点で改めて提案すること。 なお、横風用滑走路計画用地を現滑走路と平行滑走路間の航空機の地上通路として整備するという運輸省の方針については、横風用滑走路とは別の問題として理解できる。
  4. 騒音対策の一層の充実や成田空港周辺地域振興策の推進などについては、円卓会議の結論に従って、その実現のために努力すること。
  5. 円卓会議を構成するすべての構成員および関係するすべての地域社会の住民によって所見が受け入れられ、合意された事柄がすべての関係者によって尊重され実現を見ることによって、四半世紀を超える対立構造と不信感とが解消し、地域の将来の発展が図られていくことを強く期待する。

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