成田空港問題の推移

1966年7月の閣議で成田市三里塚を中心とした地区に成田空港を建設することが正式に決まりました。建設地決定の動きと前後して反対同盟が結成され、反対運動が高まっていきました。このため空港建設用地の取得は進まず、74年にようやく第1期工事が完成しました。しかし、反対運動などにより、開港時期は延期を余儀なくされ、結果として78年5月にA滑走路1本で開港する運びとなりました。

空港建設をめぐる国・NAAと反対派との対立構造(いわゆる「成田空港問題」)を話し合いで解決する機運が高まったのは90年でした。91年11月、国、NAA、千葉県、反対同盟の立場の異なる四者が初めて一同に会し、「成田空港問題シンポジウム」が隅谷調査団主宰により開催され、成田空港問題の歴史的経緯等についてさまざまな観点から討論が行われました。その結果、隅谷調査団から「国は2期工事B・C滑走路の建設計画について白紙の状態に戻し、地域の人々と話し合いをすることにより解決の道を探ることとされたい」など3項目を骨子とする所見が示されました。

参加者全員がこれを受け入れ、成田空港問題は「成田空港問題円卓会議」に舞台を移し、関係者が対等の立場でアイデアを出し空港と地域の共生の道を探ることとなりました。その最終回では、会議での議論や提案を反映した、いわゆる「隅谷所見」が示され、関係者全員がこれを受け入れ、3年に及ぶシンポジウム・円卓会議は終結し、対立構造は解消されました。

NAAは、円卓会議での結論を最大限に尊重し、地域と共生できる成田空港の整備に取り組んでいくこととしました。一方では、第三者機関として「成田空港地域共生委員会」と「『地球的課題の実験村』構想具体化検討委員会」が設けられ、95年1月にそれぞれ第1回委員会が開かれました。ちなみに、同共生委員会は、07年9月末までに59回開催されています。また、両委員会の設置に併せ、空港と地域との共生を実現する観点から「芝山鉄道延伸整備検討委員会」が設置されました(同鉄道は02年10月に開業)。

国は共生委員会からの要請を受け、96年12月に「今後の成田空港と地域との共生、空港整備・地域整備に関する基本的考え方」を発表しました。その後、国・NAAは成田空港整備の全体像と手順などをとりまとめた「地域と共生する空港づくり大綱(いわゆる共生大綱)」を地域に発表し、さらに98年5月には環境にやさしい空港づくりを目標とした「エコ・エアポート基本構想」事業を発表しています。

また、NAAはきめ細やかな騒音対策等の事業を実施する「成田空港周辺地域共生財団」を千葉県や周辺自治体とともに設立する一方、空港情報センターなどで情報公開を行うなど、さまざまな施策を講じてきています。

地域と共生する空港づくり大綱

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